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歴史と文化の町 奈良県橿原市今井町
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今井町の成り立ち
今井の歴史2024.09.19

一向宗の布教拠点として誕生

今井の地名は至徳・元中三年(1386)の興福寺一乗院の文章にみえますが、今井町の成立は戦国の世、天文年間(1532~1555)この地に一向宗本願寺坊主の今井兵部卿豊寿によって寺内町が設立されたことに発します。

 

賑やかに文化や物が行きかう今井

天下統一を狙う織田信長に対し、本願寺は反信長の旗を立て、今井も寺を中心とし、厳重武装で抵抗しましたが、明智光秀を通じて武装放棄しました。
その後は、「今井千軒」「海の堺 陸の今井」と呼ばれるほどの商工業都市として発展しました。
茶道などの文化・文芸、華道・能楽・和歌・俳諧などが好まれ、各地との交流も盛んになりました。
豊臣秀吉が今井の茶室で接待されたという記録もあります。

 

特別の権利を許された自治都市

17世紀後半、五代将軍綱吉の頃、農村の多くが20~30軒程度だった当時、今井町は一千軒もの家を有する規模が大きな町でした。
それだけでなく、肥料や木綿、味噌や酒などの取引も盛んで大名相手の金融業者も活躍しました。
南大和最大の在郷町となり、藩札と同じ価値のある独自の紙幣「今井札」を発行するまでに栄え、「大和の金は今井に七分」「金の虫干し玄関まで」と言われるほどでした。

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