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商都・今井町が生んだ独自の紙幣「今井札」
今井の歴史2025.03.27

奈良県橿原市にある今井町は、江戸時代に「大和の金は今井に七分」とまで言われたほどの繁栄を誇った商業都市でした。そんな今井町には、驚くべき自治制度があり、さらに独自の紙幣「今井札」まで流通していました。藩の統治下にありながら、なぜ今井町は独自の経済圏を築くことができたのでしょうか?

 

今井町の繁栄と自治の精神

今井町の歴史は戦国時代に遡ります。もともとは一向宗の寺内町として発展し、戦国武将たちの争いから町を守るため、強固な堀と塀に囲まれた「城塞都市」としての機能を持っていました。しかし、江戸時代に入ると戦乱が収まり、町の人々は商業に力を注ぎます。その結果、今井町は近畿一円を結ぶ重要な商業拠点として発展しました。当時の今井町は「惣年寄(そうとしより)」と呼ばれる自治組織を持ち、町内のルールや商取引を独自に管理していました。こうした自治の精神こそが、独自の紙幣「今井札」の発行を可能にした背景にあります。

 

「今井札」とは?

江戸時代の日本では、各藩が発行する「藩札」が流通していましたが、今井町では藩札とは別に、町独自の「今井札」を発行していました。今井札は町内の有力な商人たちによって発行され、町の商取引や金融取引において広く使用されました。「今井札」は藩の許可を得て発行されていたため、藩札と同等の信用を持っており、今井町内だけでなく周辺地域でも使用できるほどの流通力を誇りました。このような自治都市が独自の紙幣を発行することは極めて珍しく、今井町の経済的な独立性の高さを物語っています。

 

なぜ「今井札」は発行されたのか?

江戸時代の商業では、銀貨や銅貨が主流でしたが、大口の取引には不便でした。そこで、信用ある商人たちが発行する「手形」や「札」が現れ、これが事実上の紙幣として機能するようになりました。今井町は商業活動が活発だったため、大量の現金を扱うことが難しく、利便性を高めるために今井札が広く使われるようになったのです。また、町民の金融取引をスムーズにする目的もありました。

 

今井札の終焉と今井町の遺産

明治時代になると、政府の貨幣制度改革により、地方独自の紙幣は次第に姿を消していきました。今井札も例外ではなく、中央集権的な通貨制度の確立とともに廃止されました。しかし、今井町は現在も当時の町並みがよく保存されており、「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されています。江戸時代の面影を残す町家や、かつての豪商たちの邸宅を歩けば、今井町が独自の経済圏を築いていた歴史を感じることができます。

 

 

独自の紙幣を発行し、経済の中心地として栄えた今井町。「今井札」は、単なる紙幣ではなく、自治と商業の発展を支えた象徴でした。もし今井町を訪れる機会があれば、当時の商人たちがどのように経済を回していたのか、その歴史に思いを馳せながら散策してみてはいかがでしょうか?

 

 

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